マイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室をご覧になった方は、
「人を助けるための殺人」
にヤキモキしてたかもしれません。
もっとヤキモキしたい方は、是非読んでみて下さい。
太った男を殺しますか?のレビュー
答えは無い。
それが答え。
それが第一印象。
それが結論。
答えが無いというのは語弊があるかも。
正確には、人それぞれに答えがあるので、
答えが1つではない、になる。
正義とは難しいものだ。
いかに犠牲を出さない方法を考えて実行するかという考え方も、
多少の犠牲は覚悟するという考え方も、
行き着く先が正義だったりする。
ただ、前者は後者を正義と見なさず非難し、
後者は前者を甘ったれた偽善と言う。
お互いの意見を言い方を変えれば、
「正義」を利用して成したいことを成す
にもなる。
私たちがテロリストと呼ぶ人たちは、
自身の行動を「革命」と言っている。
それは彼らにとっての正義であって、
死者は正義の犠牲である。
クリストファー・ノーラン監督のダークナイトの話。
ここにも同様の話が見える。
バットマンは「殺さない」を信条に悪と戦う。
ジョーカーは「背中を押す」ことで、
普通の人はおろか正義を象徴する者まで、
悪の道に突き落とす。
ジョーカーを殺すチャンスはいくらでもあった。
ただ、殺さなかったおかげで別の誰かが死んでいく。
ジョーカーを殺すことで救えたはずの命と、
ジョーカーを殺さないという正義の倫理。
本の表紙がそのまダークナイトと同様の葛藤の天秤を描いている。
何が正しいのか?ではなく自分が正しいと判断し行動すること。
これほど人を苦しめる場面はないだろう、
サブタイトルにある「トロリー問題」は、
「トロッコ問題」として知られている。
コントロールを失った電車。
橋の上には怠惰の象徴である太った男。
その隣にはあなた。
橋の向こう側には線路に縛られた人。
太った男を突き落す事で、車内の乗客と線路に縛られた人の命を救える。
死ぬのは太った男ただ一人。
あなたの手を汚せば救える人はたくさんいる。
これは殺人か?人助けか?
逆にただ傍観していると、太った男は死なない。
線路に縛られた人は死ぬ可能性がある。
電車も同様に脱線の恐れがある。
あなたは救えるかもしれない人たちを見殺しにするのか?
同じようなシチュエーションに遭遇することは恐らく無い。
ただ、身の回りで起こったことに対して、
「もし、ああしていれば」
などと思ったところで取り返しはつかない。
あなたに出来ることは3つ。
判断すべき時に判断すること。
行動に責任を持つこと。
結果を受け入れること。
話だけ聞くと簡単なのだが、
実際に行動に移すことは困難だ。
そうやって悩めることが、生きている証拠でもある。