失敗は成功の素。
私はそうは思わない。
なぜか?
それは、「失敗」よりも「失敗すまいとあれこれ試行錯誤している時」の方が成功への貢献は大きいと思っているから。
失敗というのはインパクトが大きい。
予想と現実との乖離の幅が大きければ大きいほど、
失敗による気持ちへのダメージは大きいだろう。
逆に、その失敗を経て這い上がるというだけで、
失敗から得られたものが大きく感じてしまう。
分かりやすく言えば、
昔ヤンキーだった人が、今は好青年というパターン。
ただの好青年というだけでは何の面白みもない。
ここに昔ヤンキーというラベルが貼られるだけで、
そのインパクトは大きく見える。
コントラストの問題である。
このように、失敗が大きければ大きいほど、
成功した時の「失敗」への貢献が大きくみえてしまう錯覚に陥っているのだろう。
仕事柄アクセス解析をすることが多い。
サイトにどんな人がどれだけ流入してきて、
どんな行動をして、最終どうしたか?
この一連の流れを分析するために、
googleアナリティクスというツールを使う。
気付きを持つ。
仮説を立てる。
施策を考える。
テストする。
こうして、立てた目標へと辿り着かせる。
「仮説を立てる」という部分は、
簡単には出来ない上に、正解がない。
テストをして初めて分かるもの。
なので、テスト結果立てた仮説と乖離していた場合、
改めて「なぜだろう?」と思いを巡らせる。
一見、この仮説の失敗とも思える状態が、
成功へ大きく関与しているように見えるが、
テスト前に様々な仮説を立てている段階こそ、
自分の中では成功の素になっている気がする。
テストに進むものは厳選されるが、
仮説の候補は、別の問題にも応用できるものが多々あるからだ。
要は、どれだけ失敗を減らせられるか?ということ。
成功に近づくには、失敗は避けられないものなのか?
出来れば避けたい。
失敗せんが為に数多くシミュレーションする事が、
何よりも成功の素になるのではないかと思う。
勿論、誰しも完璧ではないので理想論と思われるだろう。
だから言えるのは、
失敗を恐れるな。
もっと大事なのは、失敗を忘れるな。
そして何よりも、
失敗に目を向けるのではなく、
失敗すまいと色々と頭を巡らせたことを大事にして欲しい。