自分にどんな才能があるのか分からない?
どんな定義で才能と呼ぶのか?
本書には、その答えが著者なりの考えで示されている。
才能は後から来るもの
才能は努力の結果
才能は自分の力で伸ばせる
本書の言いたい事をまとめると、こんな感じになる。
私もこの意見に賛成派である。
もちろん、音楽や絵、小説など独特な世界観を表現する事も一つの才能。
そしてこれは、努力とは違った感性が必要なのかもしれない。
なので、本書で触れる範囲の「才能」とは違ったものになる。
ビジネスで言う所の、
話し方
書き方
身振り手振り
図解
など、努力で何とかレベルを上げることが可能な範囲、
これが本書の「才能」という部分にあたる。
数学やプログラミング、
マーケティングに必要な情報収集能力などはどうだろうか?
これらも、時間を掛けてじっくりと自分のものにしていけば、
自ずと才能と呼ばれるほどに開花すると思う。
結局は、身に付けた何かを更に磨き上げる為にコツコツと努力を惜しまず、如何に楽しめるか?
であろう。
そうすると、周囲の見る目は変わり「才能」として認めてもらえる。
認知する→興味を持つ→深く知る
→教える or 意見を持つ or 結果を出す
これが大まかな「才能」を周囲が認めるまでの流れ。
正直なところ、努力をしたから結果が出るとは限らない。
ただ、何事もやればやるだけ伸びるものである。
何もしないでいるよりは、様々な事に興味を持ち
あれこれ考えながら自分でやってみる。
「これは仕事に役立つ」や「やってて楽しい」といった感情は、
継続のモチベーションを上げる為には必要な事だ。
些細な事でもいい、何か自分にプラスになるんだという思いを持って取り組むことが大事である。
かつてアインシュタインはこう言った。
「誰もが天才。しかし、魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生、自分はダメだと信じながら生きる事になる。」
正しい能力の測り方を。
そのためには自身を深く知る事。
もし壁にぶち当たった時、
今までやってきたことを振り返ること。
そうすれば、理解の行き届いていない部分が必ず見つかる。
そうやって一つ一つ分からない所を理解につなげていくことで、知識が血肉になっていく。
才能というのは苦労を伴うが、
これほど得て楽しいものは無い。
自己に投資する事は何よりも見返りの大きな資産運用である。